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2016.02.01
定森 幸生
日本企業の海外拠点の人事管理において、職務記述書に対する誤解や職務記述書の作成を敬遠する風潮が、今だに多くみられます。職務記述書は「硬直的であるから“変化が常態化”している業界や経済成長が顕著なホスト国では、一旦作成した職務記述書はいずれ陳腐化するので、労力の割に利用価値は乏しい。」という批判が少なくありません。
しかし、その考えは根本的に間違っています。職務記述書それ自体は決して硬直的な性格のものではありません。それどころか、職務記述書の本来の性格は、ビジネス環境の変化や企業戦略の変化に即して、業績評価などの機会を活用して管理職と担当社員が話し合って、業務の実態を最も的確に反映した記述をタイムリーに加筆・修正して更新すべきものなのです。それによって、個々の職責を担う社員に対して、会社の戦略目標を最も効果的・効率的に達成するための実践的な活動指針を提示することが、職務記述書や職位記述書の基本的な役割です。
会社の決算とそれに続く次年度の予算・利益計画、重点目標、中期経営計画の策定・見直しなどが毎年行われるように、職務記述書についても、管理者は面倒がらずに、最低でも年一回の業績評価の際に、更新する必要があるか否かを検証することが必要です。日本本社からの経営幹部やライン管理職が頻繁に異動する海外拠点運営の実情を考えると、海外労働市場で必要な人材を新規に採用する際にも、また、在勤者をより高度なポジションへ登用するための研修・能力開発ニーズを特定する際にも、さらには、対外的に公正かつ競争力のある給与水準算定の際にも、職務記述書や職能要件書が不可欠であることは言うまでもありません。
世界各地で経営環境の変化が常態化している時こそ、専門性やコンピテンシーの陳腐化や市場ニーズからの乖離リスクを避けるためにも、職務記述書の迅速なアップデートは、経営にとって欠かせない戦略上のインフラ整備ということができます。
現実問題として、日本から海外拠点に管理職として派遣される多くの日本人社員にとって、英文で職務記述書の職責を簡潔かつ具体的に記述することはかなりの負担になることがあります。また、職務や職能の記述は、人事担当部署が一義的に責任をもって考えるものではなく、他のコーポレート管理部署やオペレーション担当のライン管理職を含めたすべての現場管理職が参画して作成する必要があります。そうでないと、実効性のある記述書を作成することは至難の業です。
人事管理の専門家であるなしに関わらず、職務記述書や職務要件書のイメージを把握するために是非閲覧をお勧めしたい情報源として、米国労働省行政法判事室(Office of Administrative Law Judges: OALJ)が公開している下記のインターネット・サイトがあります。
http://www.oalj.dol.gov/libdot.htm
このサイトに掲載されている “Dictionary of Occupational Titles:通称DOT”は、約15,000の職務についての記述例が収録されています。さらに、個々の職責を効果的・安定的に遂行するのに必要な職能要件や物理的、心理的就労環境(work context)などまで細かくリストアップされていますので、日常の業績管理の中でのコーチングや、職域拡大、能力開発、昇進管理などを考える際の有力な情報として活用できます。
第12回のコラムの中でご紹介した「人事労務統括責任者」の職責記述例は、このDOTのデータベースに掲載された「166.117-010 DIRECTOR, INDUSTRIAL RELATIONS」から抜粋したものです。各職務は、9桁のoccupational code と呼ばれる番号で整理されていますので、企業によって社内の職位呼称 (position title) は異なっても、各々の職務をこの番号で管理すれば、職務内容に関してこのデータを使って職務記述書を作成している他社との報酬管理や人材開発管理などの比較をすることも可能です。
さらに、「一般教養・学力」に相当する General Education Development (GED) という指標が個々の職務に設定され、職能レベル判定の手掛かりになるよう工夫されています。 その詳細はDOTのサイトに掲載されていますので省略しますが、論理展開力 (Reasoning Development: R)、数学的素養 (Mathematical Development: M)、言語表現力 (Language Development: L) の3種類を6段階のスケールに分けています。上記の「人事労務統括責任者」の例では、GED: R6 M4 L5 となっています。
それぞれのレベルの概略は、論理展開力は「論理的、科学的思考を複雑な問題の整理に応用でき、誰からも論破されないレベル」、数学的素養は「微分積分と統計学の数学的解析を除く、代数・幾何全般の知識レベル」、言語表現力は「財務諸表、法律文書を含むすべての文献を読み、紋切り型のビジネス文書以外に、さらに創造的な小説、論文、議事録、法律文書、演説原稿が書け、口頭表現力は論旨明快、言語明瞭であること」と定義されています。
また、特定の企業での在籍年数だけでは、それぞれの職務遂行に必要な職能レベルを測る指標にはならないため、職務毎に「一人前になるのに必要な期間の目安」であるSpecific Vocational Preparation: SVP という指標も用意されています。この SVPは、その職務に関する実務経験の長さについて、1年以下を1から5に区分し(具体的には、1=簡単なデモ・説明、2=1か月以下、3=1か月超3か月以下、4=3か月超6か月以下、5=6か月超1年以下)、それ以降は、1年超2年以下を6、2年超4年以下を7、4年超10年以下を8、そして10年超を9で表示しています。上記の「人事労務統括責任者」の例では SVP 8です。
これらのデータを社内で使いこなして職務記述書を作成・アップデートし、また、職務の大きさ(広さ×深さ)に基づいて報酬管理に応用することが困難な場合は、専門のコンサルティグ会社などを起用するほうが、費用対効果の観点で合理的ではありますが、アウトソースする業務の大凡の内容と重要度を把握するためにも、上述のサイトを概観して、ひととおり理解しておくことは意味があります。
定森 幸生
Yukio Sadamori