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2016.03.28
定森 幸生
第14回では、会社の発展を支える優秀な人材を確保するためには、労働市場での企業の魅力度を高める「人事面でのブランド戦略」が必要であることに触れましたが、今回はその「人事ブランド戦略」の意義について説明します。
ビジネスのグローバル化によって、国を跨いだ企業のM&Aが増加したり、人口知能などの技術革新の深化に伴って、従来人間が担ってきた仕事が量的にも質的にも陳腐化してその価値が低下したりするなど、経営環境の変化が常態化しています。さらに、企業内労働力の高齢化に対応する社員間の世代交代ニーズや、中堅・若年社員のコンピテンシーの高度化ニーズなどの諸課題を勘案すると、企業活動の持続的な発展や事業の革新に必要な人材(skill sets)も大きく変化します。とりわけ、労働市場で希少性の高い優秀な人材(critical talent)を他の企業に先駆けてタイムリーに確保する(war for talent)ためには、労働市場において雇用主としての「人事ブランド戦略」がますます重要になります。その意味では、「人事ブランド戦略」は、日本国内でも海外拠点でも、間違いなく企業の最重要経営戦略のひとつです。
「人事ブランド戦略」とは、マーケティング戦略手法の一つである顧客囲い込み(customer retention)の概念を、社員および社員予備軍である労働市場の人材を顧客に見立て準用し、自社が確保したい社員の囲い込み(talent retention)を成功させる方法論のことです。商品のマーケティング戦略においては、顧客に対する自社商品固有の価値(value proposition)を説いて固定客を囲い込み、自社ブランドに対する顧客の信頼や愛着心(customer loyalty)を高める手法が用いられます。この手法に倣って、「顧客」を社員に置き替え、「商品」に相当する自社の様々な人材開発施策、魅力的なキャリア形成の機会や待遇メニュー(total rewards package)などのvalue propositionを、社員とその予備軍に理解させることによって、社員の成長と貢献を大切にする自社の“人事面でのブランド価値”に対するemployee loyaltyを高める方法論が「人事ブランド戦略」なのです。
新規に人材を採用する場合は、他社よりも自社をキャリア形成の場として選択したくなるような「ブランド価値」を、自社が求める人材に入社前の段階で納得させることが必要です。そのためには、自社の人材マネジメント戦略に関する明確な経営理念と、企業活動の社会的な価値や貢献度に対する自社の価値観・倫理観などを、インパクトのある明確なメセージと、その裏付けとなる人事諸施策の実態を交えて紹介することが効果的です。その際の有効なコミュニケーション手法は、websiteの活用、紙媒体の併用、面接時の口頭説明や質疑応答など様々ですが、対象となる職務や候補者の背景、他社との競争条件などの contexts に応じて最も相応しいものを選択します。
また、在籍者に対しては、これまで社員に対して実施した人事諸施策やtotal rewards packageの実績を振り返り、自社での仕事に対する社員満足度をさらに高めるような諸施策の導入や、プロとして達成感のある高度な職務への登用機会を増やすなどの取り組みに力を入れます。その場合も、会社の社員に対する期待と人事諸施策の趣旨などについて有効なコミュニケーションの手法を検討する必要があります。そうすることによって、新規採用の候補者(将来の社員)と在籍社員の両方、すなわち外部労働市場と内部労働市場の両方に、自社の高い人事面のブランド価値を印象付けることが可能になります。
商品に対する顧客の選択や購入の意思決定の結果を測定する場合とは違って、「人事ブランド戦略」の実効性の測定に関しては、例えば、四半期や半期の売上高のような数値によって短期間に明確に表すことはできません。したがって、厳密な意味ではマーケティング戦略と同一視はできませんが、一定のタイムスパンの中で、critical talentの採用実績や定着率の向上、離職率低下による採用活動の経費削減効果、会社の業績向上の実態などを把握することによってその成果を測定することができます。
「人事ブランド戦略」の企画、立案、実行、管理、評価の責任は人事担当部署が負うことになりますが、それぞれの過程ではライン現場の管理職や一般社員の関与と協力が不可欠です。つまり、社内の各業務担当部署の管理職や一般社員に、自社の「人事ブランド」の本当の意義を、日常業務を通じて皮膚感覚で納得するプロセスを経験させることが効果的です。それによって、社員自身を対象にしたその戦略は、経営陣の主観や独断で一方的に押し付けられたものではなく、社員自らも関与して作り上げられた戦略であることを周知させることができます。その戦略のvalue propositionを社員が認知し、その戦略に対する社員の積極的なownershipが育まれるようになると、結果として「人事ブランド戦略」の効果的な運用を担保する強力な支えになるのです。
定森 幸生
Yukio Sadamori