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2016.04.25
定森 幸生
事業戦略を着実に実行して成果を挙げ続けようとする企業の多くは、その目標達成に必須となる人材(critical talent)を確保する人事戦略の重点を、定着率よりも即戦力を重視(極端な場合は人材の“使い捨て”も容認)するこれまでの短期的な人材活用戦略から、雇用者として社内外の好感度が高い人事ブランドイメージの維持向上を重視する長期的な人材活用戦略へと急速に移行させています。そうすることが、労働市場での競争優位性の向上に寄与し、事業活動の持続的な成長が期待できるという経営判断によるものです。
有効な「人事ブランド戦略」を構築するためには、その企画・立案のプロセスにおいて、特に大切な3つの要素が考えられます。それらの要素とは、①会社の経営理念が実務現場で適切に体現されていることの検証、②会社の事業戦略と人事戦略との間の整合性の確認、③戦略策定から実行の各ステージにおいて、基幹業務担当者だけでなく、社内の広範な業務を担当する管理職および一般社員がチームを組んで、①と②の実態調査に参画することの3点です。今回は、①のプロセスの重要性について詳しく説明します。
このプロセスは、会社の経営理念(Mission, Vision and values)が明確に定義されていることが前提となりますが、その内容が単なるスローガンで終わることなく、日常業務の重要な局面での判断基準・行動指針として社員の業務行動に反映されていることを、様々な仕事の現場での実態調査を通じて明らかにするものです。
例えば、「高品質と競争優位性のある価格で消費者の信頼に応える。」という経営方針があるとすれば、生産ラインの各工程で製品の品質管理に必要な検査体制が機能しているか、また、開発・設計段階での品質へのコミットメントが徹底しているかなどをチェックします。食品を扱う事業であれば、衛生面はもちろんのこと、表示された成分と実際の商品の含有物との間に齟齬が生じる事態を防止するため、具体的にどのような監視体制を整備していて、それが適正に機能しているかを検証することが大切です。食品の「虚偽表示」は、それ自体で企業の存続を左右しかねない大きなリスク要因ですから、特に注意が必要です。商品の性格に関わらず、グローバル市場で消費者の信頼を損ねることは、その企業の「人事ブランド」も「企業全体のブランド」も同時に毀損することになりますし、場合によっては、同業種の日本企業の製品全体に対する信頼の低下を招く恐れもあります。
営業活動に関しては、営業担当者と取引先に同行して、重要なステークホルダーである顧客のニーズや立場に配慮して公正な折衝が行われているか、市場での優越的な立場を濫用(abuse of superior bargaining position)して、立場の弱い顧客を相手に契約条件などに関して不当な圧力をかけていないかなどを客観的に検証します。さらに、採用されてから日が浅い社員に対する聴取調査によって、入社前に抱いていた会社に対する印象や期待と、入社後実際に仕事をした経験から感じたことの間に、どのような違いがあるか、予想以上に好感したことや期待外れに感じたことなどを含めて率直に話してもらえる雰囲気でヒアリングを行います。
このようなプロセスを通じて、経営理念が実務現場で適切に体現されていることの検証だけでなく、現在の経営理念そのものの意義や、経営環境の変化にも関わらず普遍的な合理性があるかどうかを再確認することができます。万が一、明文化された経営理念が存在しない場合(日本本社では経営理念が明文化されていたとしても、海外拠点でホスト国の労働市場に発信できる明確なメッセージが存在しない場合)は、早急にそれを整備することが必要です。
ホスト国市場に経営理念を発信する際に注意すべきことは、Mission=会社の存在意義・社会的使命、 Vision=将来像・あり姿、values=判断基準・行動指針は、いずれも簡潔で、人によって解釈の幅が大きくならないような単語やフレーズを厳選し推敲を重ねることです。上述の虚偽表示防止(嘘をつかない)や優越的地位の乱用の防止(弱い者いじめをしない)を例にとれば、その内容をズバリ記述するのは確かに判りやすく解釈のブレも少ないのですが、あまりにも直接的で企業経営のメッセージとしての洗練度という観点からは、ひと工夫が必要です。このような行動指針を簡潔に表す言葉としては、integrity が多くのグローバル企業や組織体で使われています。「顧客本位、顧客中心主義」を強調する言葉としては、customer focus や customer-orientedなどが考えられます。新たにホスト国市場に経営理念を英語で発信する場合や、現在のメッセージを改訂する場合には、グローバル企業や各種組織体の記述を参考にして、労働市場での「人事ブランド」を浸透させるインパクトの強いメッセージを構成するキーワードを選択することも一案です。推敲のプロセスで、一般社員の理解度、好感度、受容度などを調査したり、代替案を提案させることも考慮するとよいでしょう。その結果、完成した経営理念のメッセージに対する社員の当事者意識(sense of ownership)を確保することができます。
定森 幸生
Yukio Sadamori