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2016.07.19
定森 幸生
企業が効果的な「人事ブランド戦略」によって、社外のステークホルダーに対する訴求力を高めることに成功すれば、労働市場で希少性の高い優秀な人材の応募が加速することが期待できます。その意味では、会社が新規に採用する人材の候補者の数と質が向上する可能性が高まります。このこと自体は、確かに経営陣や人事担当管理者にとって喜ばしいことではありますが、一方で下記のような「採用ミス」のリスクが大きくなることも認識する必要があります。
新規採用の候補者の選考に際して大切なことは、その候補者が入社後に担う職務内容と必要な能力要件について、実際にその新規社員が仕事をする部署の管理者およびその他の関係者と人事担当部署の関係者との間で正しい認識を共有することです。いわゆる「優秀な」人材の選考に当たっては、想定する職務と職務能力を明確に定義しておかないと、候補者の職務経歴書(resume or curriculum vitae)に記載された“輝かしい”経歴に魅せられて、その仕事に必要な資格要件のレベルを著しく超える能力・経験・学歴などを持った人材(overqualified applicant)を採用する可能性があります。
その結果、新規採用社員が、自分の職歴や学歴に対する会社の期待を過大評価したり、少しでも難度の高い(=高い報酬の)仕事に就くことに過度の期待を抱くあまり、当面の仕事に全力投球できなくなる可能性があります。そして、自分に相応しい活躍の機会が、短期間のうちに十分に与えられない場合、早々と会社を辞めていくことも少なくありません。これは、職責と職能要件のミスマッチの典型例で、会社にとっては、採用までの時間的、労力的、金銭的な無駄に加えて、職場の他の社員に対するモチベーションの低下を招くことにもなります。
近い将来、会社の事業戦略の変化(例えば、多角化経営など)に伴って、必要となる人材の職責や職能要件が増加・高度化する可能性が視野に入っている場合は、それに呼応して、当面必要となる職能要件を柔軟に考慮することは戦略的に合理性があります。しかし、その場合でも、想定される事業展開と職域拡大(job enlargement)の合理的な時間軸をよく考えて、過剰な職能要件を採用の判断基準にしないことが必要です。
このような「採用ミス」を回避する有効な手立てとして、次の2点が特に重要です。その一つは、第11回で説明した職務記述書を作成する際、その記載内容を注意深く吟味することです。ビジネスは“生き物”ですから、会社の職務には、ある程度“動くゴールポスト(moving target)”の要素が含まれます。したがって、それぞれの職務の紙の上での表面的な定義だけでなく、その存在理由、経営環境の変化に即応した会社の事業戦略の変化による職域拡大・職責の高度化の可能性の有無やその程度なども付記し、採用面談の中で必要な説明を行い、応募者の質問に誠実に応えることです。それによって、応募者のキャリア願望の内容と程度とを判断することができます。そのうえで、自社の現在および近未来の人材ニーズに照らして適任者を選ぶことが可能になります。
もう一つの重要な手立ては、当面の職務に求められる(合理的な職域拡大の余地も織り込んだ)必須の知識・技能(ハードスキル)が満たされている場合、その職務を効果的に果たすために必要な人物適性(ソフトスキル)を重視した選考基準を設けることです。端的に言って、過度に短期的上昇志向の強い人や、自分一人で何でもできるという自信過剰の人は必要ない(積極的に採用したくない)場合は、判定基準となるソフトスキルの例として、
・会社の期待に対する理解(belief in mission and job)
・自信(confidence)
・忍耐力(perseverance)
・他人の力量への敬意(display of respect)
・他人の立場への思い遣り(empathy)
・組織適応力(adaptability)
・自立心(independence)
・協働関係の推進力(ability to promote coordination)
などが考えられます。これらは、それ自体意味のあるソフトスキルですが、個々の職責の特性や就労環境に照らして、これらのソフトスキルの必要度のバランスを考えながら判断することで、「ミスマッチ」を回避することが可能になります。
組織の中で仕事をする職責に関するソフトスキルには、この他にも、
・信頼性(dependability)
・対人折衝力(interpersonal skill)
・不明確な事象への対応力(tolerance for ambiguity)
・柔軟性(flexibility)
・ストレス耐性(stress tolerance)
・集中力(alertness)
・勤勉さ(industriousness)
・主導的な行動力(initiative and energy)
・情緒的安定性(emotional stability)
・如才なさ(courtesy and tact)
・誠実さ(sincerity)
・高潔さ(integrity)
・見識ある処理能力(resourcefulness)
・政治的・文化的感受性(political/cultural sensitivity)
・知的好奇心(intellectual curiosity)
・傾聴力(attentive listening skills)
・コミュニケーション力(communication skills)
・変化への積極性(willingness to change)
などがあります。それぞれの職務に応じて、妥当性の高い項目を評価基準として設けるとよいでしょう。
一般に、ハードスキルは、研修や技能訓練などを提供することで比較的短時間で習得して発揮することが可能ですが、ソフトスキルは個々人の育成環境や性格などの影響を受ける場合もあり、短時間での習得は容易ではありません。採用選考の過程で、特定の候補者の採否で迷った場合には、顕著なソフトスキルを優先して評価する傾向が強いのはそのためです。
ただ、ソフトスキルの多くは、入社後実際に仕事をさせてみないと正当に測定・評価することが困難ですので、限られた採用選考のプロセスでは、職歴の中での具体的なプロジェクトに、どのように取り組んだのか、社内外の誰をどのように巻き込んで協働・信頼関係を築いたのか、阻害要因や想定外の事態にどのように対応し解決したのか、個人的な挫折感や情緒不安定などをどのように克服したのかなどの方法論(HOWs)を中心に、職責と関連付けて聴取するなどの工夫が必要です。
定森 幸生
Yukio Sadamori