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2015.02.02
齋藤 志緒理
前号までの4回で、タイの食文化の推移を追いました。今号では地方毎の料理の特色を解説します。「中部」「北部」「東北部」「南部」という区分けについては、本シリーズ(2)「タイの国土と地理区分」の地図をご参照ください。
まずここでお伝えしたいのは、今日「タイ料理」と呼ばれているものは、必ずしもタイ国全土で食されている料理の代表ではないということです。これまでの回でも見てきたように、元来タイの農村部では、家庭でご飯と魚、野菜などの質素な食事を作って食べるのが普通でした。現在の「タイ料理」が一般化したのは、タイ国の料理を食べたいという外国人や、レストランで食事をしたい都市のタイ人のニーズが高まり、バンコクを中心に外食産業が興隆するようになってからのことです。
「タイ料理」は、バンコクが属する中部タイの料理を基礎としていますが、バンコク建都以来の華人人口の割合を反映し、少なからず中華料理の要素を包含したものとなっています。
稲作、畑作、果物の栽培が盛んな中部では、豊かな食材をベースに、ケーン(スープ)、ヤム(和え物サラダ)、ナムプリック(にんにく、唐辛子、シャロットなどを石臼ですりつぶし、調味したペースト状のもの)など、様々な種類の料理が作られています。味付けについてひとつ言えるのは、辛味が他地方に比べると控えめ…ということでしょう。例えば東北部の郷土料理で、現在は全土に広まっている「ソムタム」(青いパパイヤのサラダ)は、中部タイでは甘めに調味されます。
主食はうるち米です。「タイ料理には中華料理の要素がある」と上述しましたが、首都圏では炒め物料理や麺類などが“タイ化した中華料理”の日常食として定着しています。
北部には、かつて「ラーンナー・タイ王国」が存在しました。同王朝時代に源を発するとされる「カントーク・ディナー」(脚のついた丸い膳の上に料理が並ぶ)は、北部を代表する“おもてなし料理”となっています。その他に、郷土の麺料理として「カオソーイ」も有名です。これは卵麺の上にココナッツミルク入りのカレースープをかけ、カリカリに揚げた麺をトッピングしているもので、隣国ミャンマーから伝わったと言われています。
北部の主食はもち米。生のスパイスを使う料理が少ないため、他の地域よりもマイルドな食事です。調味には塩が多用され、「トァ・ナオ」という発酵させた塩漬けの納豆がナムプリックの味付けに使われたりもします。なれずし(川でとれた小魚を塩漬けにし、もち米と共に漬け込んで乳酸発酵させたもの)も作られます。(酒井美代子著『おいしいタイランド』東京書籍、p.72-73)
イサーン料理の特徴の一つは、食材の幅の広さにあります。鶏肉、豚肉、牛肉、水牛肉を食べてきた歴史が他の地域に比べて長く、川で獲れる魚やエビも食卓に上ります。蛋白源として、コオロギ、赤蟻、イナゴ、セミなどの昆虫食の伝統もあります。
山田均は「バンコクの一般の人から見ると、(東北部の人たちは)そのようなげてものを食べなければならないほど貧しい人々であるという一種の蔑視にもつながってしまう。(中略)しかし、実際の東北タイ料理は、豊かなバラエティを誇るだけでなく、くっきりとした力強い味のつくりといい、辛さと甘さのバランスといい、日本人、とくに関東人の好みにぴったりくるものである」と述べています。(『世界の食文化(5)-タイ』農文協 p.166)
東北部の主食は北部同様もち米で、郷土料理の代表格といえば、カイヤーン(タレに漬け込んだ鶏肉を炭火で焼いたもの)やソムタム、ラープ(肉入りのサラダ)といったところでしょうか。この地方には、ベトナム戦争時に戦禍を避け、タイに流入してきたベトナム移民とその子孫も多く、特にイサーンの北部や中部ではベトナム料理が浸透しています。
タイ国の経済発展の過程で、東北部からは季節労働者が首都や全国各地の都市部に流れましたが、その結果、全国各地にイサーン料理の店や屋台が広がり、今も同郷の人々の食生活を支えています。
南部料理はインド文化やマレー文化、中国文化(特に福建料理)の影響を強く受け、また、海に面した地域が多いため、海産物がふんだんに使われます。料理の色はターメリックや唐辛子の影響で黄色や赤いものが多くなっています。生の唐辛子を使う東北料理とは違い、南部では、乾燥させた唐辛子を使うのが一般的です。(前川健一著『タイの日常茶飯』弘文堂、p.26)
インドやマレーの影響は“スパイスの多用”に顕著に見られますが、そのスパイス群の中から味を浮き上がらせるため、味付けが非常に濃くなります。タイ料理の中で最も辛いのが南部タイ料理であり、最も塩辛いのも、酸っぱいのもおそらく南部タイ料理…と専門家は分析します。(『世界の食文化(5)-タイ』農文協 p.175)
主食はうるち米です。南部では料理の辛味を中和するため、付け合わせの野菜をたくさん食べるのが一般的です。南タイ特有の食材に「サトー」(ネジレフサマメ)という大きな豆があります。独特の香りがありますが、さやから出して、料理の付け合わせに生で食べたり、ケーンに入れたり、炒めたりと応用自在です。
全5回にわたってタイの食文化を扱い、タイの料理が形成されてきた足跡を追うとともに、今号では駆け足でしたが、各地域の個性に注目しました。タイ農村の伝統的な家庭料理は意外にシンプルだったということ、そして、私たちが「タイ料理」と認識しているものは、(都市化が進み、外国人が流入してくる中で成立した)“ごちそう料理”に由来するということ、地方毎に異なる食文化が存在することなどがおわかりいただけたでしょうか。タイ国を訪れる機会がある方には、バンコクで一般的な「タイ料理」を堪能するのと同時に、ぜひ各地で特色ある郷土料理を味わっていただけたらと思います。
齋藤 志緒理
Shiori Saito