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齋藤 志緒理
Shiori Saito
タイ国はよく「微笑みの国、タイランド」と称されます。「観光業界が、タイの売り文句として考えた言葉である」などと言われ、「最近のバンコクでは、せわしない日常を生きる人々が、笑顔を浮かべる余裕をなくし、このフレーズがあてはまらなくなった...
タイ人の日常会話に頻出し、コミュニケーション上のキーワードともいえる言葉に「マイペンライ」があります。「マイペンライ」を分解すると、「マイ」は否定・打ち消しの言葉。「ペン」は「~である」の意。「ライ」は「アライ(何)」が短く変化したもので、総合する...
コミュニケーションスタイルを、前回解説した「高コンテクスト」「低コンテクスト」で分類するならば、高コンテクストな社会の方が、意思疎通において “言外のメッセージ”の果たす役割が大きくなります。...
“サワッディ・ピーマイ 仏暦2560年/西暦2017年”明けましておめでとうございます。タイ国ではプーミポン前国王逝去の50日後にあたる2016年12月1日に、ワチラロンコーン皇太子が即位し、ラーマ10世王となりました。戴冠式は前国...
今年も師走に入りました。タイ人の越年の模様については、昨年12月に本連載(32)で「タイのお正月」と題して書き、その中で、タイ国には年末から年始にかけて、日頃お世話になっている人に贈り物をする習慣があるこ...
2016年10月13日、タイ王国のプーミポン国王(プーミポンアドゥンララデート王)が逝去されました。在位期間70年は、存命する世界の君主の中で最長でした。日本の新聞各紙はこのニュースを翌日の朝刊の一面で大きく報じ、国...
前号では1940年、1941年に相次いでバンコクに建立された二つの記念塔「民主記念塔」と「戦勝記念塔」を紹介し、その制作に携わったのがコッラード・フェローチ(Corrad Feroci:1892-1962)というイタリア人彫刻家であることに触れました。今号では...
タイ国の首都バンコクには、二つの大きな記念塔があります。一つは王宮やエメラルド寺院などに近いラチャダムヌーン通りの「民主記念塔」、もう一つはパヤタイ区にある「戦勝記念塔」です。どちらの記念塔もバンコク市内のランドマークであり、周囲は大きなロータリーになっています。車で通過する頻度は高く、ロータリーに面したバス停の利用客も多い場所です。...
本テーマ最終回の今号では、タイ人の深層心理の中にある「分際を知る」という意識について考えてみます。●タイのタテ社会タイ社会には、インドにおけるカーストのような身分制度は存在せず、結婚や就職などで出自が制約となることはありません。もちろん現実的に、個々人の立身出世にあたって、出身家庭の環境や経済力による違いが生じることはあります。また、結婚に際しても、似通った教育レベ...
前号、前々号では、タイ語の敬語的表現や一人称の用法など、ことばの側面から、タイ社会における「上下関係」のあり様をみてきました。今号では、タイ人の人間関係について、言語以外の所作から考えてみます。●タイ式の挨拶「ワイ」タイ人同士が、両方の掌を合わせて挨拶している姿をご覧になったことはあるでしょうか。「ワイ」と呼ばれる所作です。タイ旅行をし、ホテルやレストランの入り口な...
前号では、タイ語の敬語的表現について解説しました。今号でも、タイ語の側面から、タイ社会における人間関係の「縦糸」に光を当ててみましょう。●七変化する「私」前号で、タイ語では「ピー」(お兄さん、お姉さん)などの「疑似家族的」な呼称を用いて、相手との人間関係を構築していることを述べました。疑似家族的な「二人称」を状況に応じて、多様に使い分けるわけですが、タイ語は「一人称」...
今号から3回にわたり、タイ社会の中の上下関係のあり様について書きたいと思います。今号と次号では、丁寧表現や人称代名詞などに着目し、タイ語を切り口に考えてみましょう。●タイ語の丁寧表現日本語には「尊敬語」「謙譲語」があり、動詞の「行く」がそれぞれ「いらっしゃる」「参る」に、「食べる」が「召し上がる」「いただく」・・・になるなど、動詞そのものの表現が変わります。タイ語では...
前々号と前号では日本での山田長政像の変遷を追ってきました。連載最後の「その5」では視点をタイ国に移し、山田長政のイメージを考察します。●タイにおける山田長政像の変遷「その3」「その4」で引用した土屋了子の論文(「山田長政のイメージと日タイ関係」『アジア太平洋討究』第5号, 2003年3月, p.97-125,早稲田大学アジア太平洋研究センター)は、その終章で、タイ国での山田長政に関す...
前号では、江戸期から1932年までの山田長政のイメージの変遷を3つの時期に分けて解説しました。今号では、引き続き、土屋了子の論文(「山田長政のイメージと日タイ関係」『アジア太平洋討究』第5号, 2003年3月, p.97-125,早稲田大学アジア太平洋研究センター)に基づき、残る2つの時代の山田長政像を追います。(4)1932年から第2次世界大戦終結まで1930年代に入ると、日本外交は国際協調主義か...
今号では、歴史的に、山田長政がどのように書かれ、あるいは教えられてきたのか――その推移を各時代の状況と併せて追ってみましょう。土屋了子は、山田長政に関する記述を系統的に調査収集し、それらの資料から読み取ることのできる山田長政像の特徴を、日本に関しては次の5つの時期に区分して論じています。(土屋了子「山田長政のイメージと日タイ関係」『アジア太平洋討究』第5号, 2003年3月,...
前号で、静岡市内で毎年開催される「日・タイ友好 長政まつり」を紹介しましたが、長政に関しては、はっきりしないことが沢山あり、出生地についても駿河国のほかに、長崎、伊勢、尾張など諸説あります。現在「長政まつり」が開催されている静岡市葵区の浅間通りは、長政が幼少年期を過ごした場所と伝承されています。今号では、アユタヤの歴史に名を残した長政の足跡をたどってみましょう。●タイに渡...
2015年10月11日、静岡県静岡市内の浅間通り商店街で「第30回 日・タイ友好 長政まつり」が開かれました。同商店街の公式ブログ「夢門前ニュース」によれば、このまつりは17世紀初頭、朱印船に乗ってアユタヤに渡った山田長政が浅間通りの出身であることにちなみ、1986年から開催されています。当初は静岡市の若者有志による「長政まつり」でしたが、その後商店街の主催となり、山田長政を記念顕彰するの...
師走に入り、当連載も年内最終回となりました。今号はタイ国の正月をテーマにお届けします。●タイの3つの正月「タイには年に3度、正月がある」と言われます。西暦の正月と、華人系が祝う中国正月(春節)、そしてタイの旧正月(4月)です。西暦の正月は大晦日と元日の2日間が祝日です。歴史をひもとけば、タイで太陽暦が導入されたのは1888年で、それまでは「チャントラカティ」という太陰太陽暦が使...
「タイシルク今昔」シリーズ締めくくりの今号では、現代のタイシルク事情を紹介します。●タイ国有数のシルク産地は?歴史的にそうであったように、現代においても、タイ国での生糸、絹織物生産の中心地は、東北地方です。良質な絹織物の産地として全国的に知られているのは、東北タイのコーンケン県・チョンナボット郡です。同郡産出の絹織物は、絹糸が細く、織りが精微で美しいと言われています。2003年...
前々号、前号では、1902年に日本からタイ国に渡った養蚕技師らの10年間の活動を紹介しました。その後、タイにおける養蚕、生糸生産は家内工業から脱皮せぬまま、さらに年月を重ねることとなりましたが、状況を打破し、現在の絹産業の礎を築いたのは、アメリカ人実業家ジム・トンプソンでした。●タイに至る道ジム・トンプソン(James Harrison Wilson Thompson)は1906年、米国デラウェア州に6人きょうだい...
●蚕糸技術の普及と織物の改良前号で述べたように、養蚕顧問の外山亀太郎ら日本人技師は、バンコクと東北のナコンラーチャシーマー県(通称:コーラート)、その隣県のブリーラム県に拠点を置いて活動していました。コーラートでは桑樹が生長し、蚕の大量飼育が可能になったため、外山は、製糸・織物の技術改良を目指すべく「模範製糸場」の建設を起案します。しかし、それをどこに作るかで議論がおこります。...
今号と次号では、タイ国で1902年から10年間活動した日本人養蚕顧問の足跡をたどり、日本人がタイの養蚕事業改良に、どのように関わってきたのかを紹介します。(参考文献:吉川利治「暹羅国蚕業顧問技師――明治期の東南アジア技術援助」『東南アジア研究18巻3号, 1980年12月』)●外山亀太郎 率いる 養蚕技師たち日本人最初のタイ政府養蚕顧問は外山亀太郎(写真上)でした。外山は養蚕が盛んだった神奈川県...
タイ国を代表する伝統的工芸は何か――といえば、筆頭に挙げられるのはタイシルクでしょう。タイシルクは外国人旅行者の土産品として人気があり、ネクタイやスカーフ、ポーチなど、各種製品が売られています。また、シルク生地で洋服を仕立てることもできます。タイシルク製品は、外国人が求めるばかりでなく、タイ人が国外に持参する手土産としてもよく選ばれます。筆者自身、タイ人の友人からシルク製品をいた...
前号では、タイ国の社会保障制度と医療事情について取り上げました。今号では、介護をめぐる状況をみていきましょう。●ニーズの拡大タイには公的な介護保障の仕組みはなく、現時点では、介護保険のような制度を創設することは検討されていません。タイでは高齢者施設に対する社会的イメージが悪く、施設に入ることへの抵抗感も存在するため、可能な限り自宅で介護をする傾向があります。タイの高所得者層の間で...
前号では、タイ国が少子高齢化の度合いを強め、「人口ボーナス」期が終焉を迎えつつあることについて述べました。今号では、高齢化する人口を下支えするべき社会保障制度と医療がどのような状況にあるかをみていきましょう。●タイ国の社会保障制度 構築の流れタイの年金制度は、1950年代に公的部門、すなわち公務員と軍人向けに始まりました。この制度には、受給者に拠出義務はなく、退職時に一時金が、そ...
現在、タイ国では急激に高齢化が進行しています。1980年には64歳であった平均寿命が、1990年代に入る頃に70歳を超え、2012年には約75歳(男性71歳、女性79歳)となりました。今号から3回にわたり、この国の「高齢化」にまつわる様々なテーマを取り上げます。●高齢化と少子化高齢者(※WHOでは65歳以上の人を高齢者と定義)の人口が全人口の7%を超えた国は「高齢化社会」(aging society)、14%...
前号で書いたように、儒教の影響を受けていないタイ社会では、家庭において父親の権威が特別に強いということはありません。末娘が跡を継ぐしきたりや、母と娘、姉と妹といった女性親族間の相互扶助の関係にみられるように、伝統的にはむしろ女性の存在感が強いといってもよいでしょう。●「男らしさ」「女らしさ」日本からタイ国に赴任した駐在員が現地社員を評して、「個人レベルでみれば有能な男性スタッフは多い...
タイ国では、「血族」や「先祖代々」といった概念が日本に比べて薄いような感じを覚えます。父親は一家の柱として家族を慈しみ、守る存在ではありますが、家父長的な父権の強さはありません。また、「家名を途絶えさせないこと」にはあまり重きが置かれません。今号では、タイ人にとっての家族とは、どんな意味合いをもつのかを考えてみましょう。●タイ人と姓今から約百年前、1913年にラーマ6世の治世下で「姓氏法...
前号までの4回で、タイの食文化の推移を追いました。今号では地方毎の料理の特色を解説します。「中部」「北部」「東北部」「南部」という区分けについては、本シリーズ(2)「タイの国土と地理区分」の地図をご参照ください。まずここでお伝えしたいのは、今日「タイ料理」と呼ばれているものは、必ずしもタイ国全土で食されている料理の代表ではないということです。これまでの回でも見てきたように、元来タイの農...
前号では、タイの食文化が近代化の過程で、どのように変化していったかに注目しました。今号では20世紀後半以降に光を当てます。●「タイ料理レストラン」と「外国料理レストラン」の展開1960年代以降、タイ国の経済発展に伴って、多くの中・高級ホテルが建設されました。ホテルには複数のレストランをもつものも少なくなく、西洋料理、中華料理に加え、タイ料理レストランも続々と誕生しました。その背景には、「タイ...