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2015.03.30
齋藤 志緒理
前号で書いたように、儒教の影響を受けていないタイ社会では、家庭において父親の権威が特別に強いということはありません。末娘が跡を継ぐしきたりや、母と娘、姉と妹といった女性親族間の相互扶助の関係にみられるように、伝統的にはむしろ女性の存在感が強いといってもよいでしょう。
日本からタイ国に赴任した駐在員が現地社員を評して、「個人レベルでみれば有能な男性スタッフは多いが、全体的な印象として、男性より女性の方が“しっかりしている”と感じる」と言う声をよく聞きます。主観的な判断や断定は避けるべきですが、一般的に女性が「頼もしく」感じられるのは、女性が家庭の要である、タイ社会の成り立ちによるところが大きいのかもしれません。
日本では「男らしく」「女らしく」という教育は前時代的――とする見方が定着していますが、怪我をして痛がっている男児に「泣かない、泣かない。男の子でしょ」と声をかける光景はしばしば見られます。しかし、タイでは昔から、ことさらに「男だから、強くあれ」「女だから、優しくあれ」と教え導くことはありませんでした。
「子どもに何と言ってしつけるか」・・・家庭での徳育の方針の傾向を知ることは、その社会のあり様をとらえるヒントになるかもしれません。
筆者の最近の訪タイの折、子どもを育てているタイ人の知人複数に、彼ら自身が言われて育ったことや、自分たちが子どもに対してよく口にしていることを尋ねてみたところ、こんな言葉が集まりました。
「大人の言うことをよく聞きなさい」
「年長の親族を敬いなさい」
「いい子でいなさい」
「一生懸命勉強しなさい」
家族という小社会の中で、年長者の教えをよく守って人格形成を図っていくという様相がみてとれます。
翻って、日本ではいかがでしょう。調査に基づくわけではありませんが、「他人に迷惑をかけてはならない」と教えられた記憶をもつ人は少なくないのではと思います。ヒアリングしたタイ人に聞いたところ、「よい人間になれ」と年長者から諭され、結果的に「他人に迷惑をかけない」人に育つことはあるかもしれないが、最初からそう子どもに言い含めることはないとのことでした。彼我の文化土壌の違いを考える上で、興味深いポイントです。
筆者はタイ人との交友を通じて、様々な親子に接してきましたが、共通しているのは親子の関係の近さです。「反抗期はなかった」と言う友人が多いのにも驚きました。
タイ国では、プーミポン現国王の誕生日(12月5日)が「父の日」、シリキット王妃の誕生日(8月12日)が「母の日」となっています。父の日、母の日には、故郷を離れている子どもは出来る限り帰省し、それが叶わなければプレゼントを送ったり、電話で親に感謝の気持ちを伝えたりします。
それ自体は、わが国の父の日、母の日でもよくみられるシーンかもしれませんが、日本であれば、親に感謝し、愛情を表現することに恥ずかしさを感じがちな世代(たとえば思春期~青年期の若者)も、全く照れずに両親に接します。
「親の手を引いて歩く」といえば、60代になった子どもが老親を支えているような姿を想像します。しかし、タイでは、若い息子がまだ健脚の母親と手をつないで歩いたり、道路を渡ったりという姿も珍しくありません。最近、筆者はタイの友人家族とレストランで食事をした際、友人の義兄(50代)が横に座った自分の息子(大学生)を可愛くてしょうがないといった風にハグする場面に遭遇しました。(その父子は久しぶりの再会というわけではなく、毎日同じ屋根の下で暮らしています。)筆者が同席していても、特段気にする様子はありませんでした。
幼少時から、会話によるコミュニケーションやスキンシップが密である上に、「子どもが親や年長者を敬う姿勢」と「親が子供を慈しむ心」双方がかみ合って、多くの家庭で、良好な親子関係が維持されているように見受けられます。
奥村晋・小島賢一・遠藤隆行による「日本とタイ王国における家族に関する調査結果の比較」(『矯正図書館・中央研究所紀要2』1992年)では、「日本の非行少年」「日本の一般少年」「タイの非行少年」を比較し、両国の親子関係を分析しています。
この比較調査によると、日本の非行少年の親子関係は「全般的に不良で、両親も少年にあまり関心を持たず、相互の理解が乏しい。少年は自立性に乏しく、親への依存度が強い一方で、親からの指導に対しては非受容的で、干渉には反発することが多い。」対するタイの非行少年の親子関係は「全般的に良好で、両親が少年に強い関心を持ち、相互に理解し合っている。少年の自立性は強く、両親に依存しようとはしないが、親子の上下関係は厳格で、親の指導には従順であり、干渉にも反発しない」という結果が出ています。そして、「タイでは、日本のように家族関係の問題から非行に至る者が少なく、経済的要因、社会的要因といった他の諸要因が非行化に重要な役割を果たしているものと推測される」という考察を導いています。
タイ人の親子関係では、コミュニケーションが濃密であっても、子どもの自立心が強い――という結果をみて、しばし考えました。近年タイ人の平均寿命は伸びてきていますが(2012年のWHOデータで75歳)、それでも社会全体でみると、日本よりも若い年代で親と死別することになります。いつまでも親に甘えているわけにはいかず、早い段階で面倒をみる立場が逆転するという側面もあるでしょう。しかし、それ以上に、親を敬い、親の教えを素直に受け止めるという成長過程での関係性が、「子として早く自立し、親を支えられるようになろう」という意識(平たく言えば、「親孝行したい」という意識)に変わるのではないかという気が致します。
次号では、年々高齢化が進む、タイ社会の現状を取り上げます。
齋藤 志緒理
Shiori Saito