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2015.11.09
齋藤 志緒理
「タイシルク今昔」シリーズ締めくくりの今号では、現代のタイシルク事情を紹介します。
歴史的にそうであったように、現代においても、タイ国での生糸、絹織物生産の中心地は、東北地方です。
良質な絹織物の産地として全国的に知られているのは、東北タイのコーンケン県・チョンナボット郡です。同郡産出の絹織物は、絹糸が細く、織りが精微で美しいと言われています。
2003年にAPEC(アジア太平洋経済協力)の国際会議がタイで開催された際、時のタクシン・チナワット首相は、東北タイのスリン県・ムアン郡・ターサワン地区で生産されたシルクで服を誂え、会議参加者に記念品として進呈しました。これをきっかけに、同地区は現在では最も有名なタイシルクの産地となりました。
筆者の友人で、自らもコーンケン県出身のティダーラット・ノイスワン氏は、上述の2か所の絹織物を比べ、「織りの繊細さでいえば、どちらの絹も互いに引けをとらない。色味に関しては、コーンケンの絹は無地か、赤と緑の(派手な色目の)取り合わせが多いのに対して、スリンの絹は水色やグレー、淡いピンクなど地味な色目を、鮮やかな赤と組み合わせるなどしており、よりモダンな印象を受ける」と評しています。
東京都豊島区駒込で「タイシルク リムナム」を経営する瀧澤明子さん。瀧澤さんは、1992年から2年間、チュラロンコン大学経済学部に留学し、その後、バンコクの日系自動車メーカーに勤務して、1999年に帰国しました。タイシルクに惹かれ、タイ滞在中は休日の度に各地方を訪れ、絹織物を集めたといいます。帰国後は、タイシルクに関わる仕事をしようと、タイシルクでオーダーメイドの服を作る事業を立ち上げました。顧客にタイシルクの生地見本を見せて、相談しながらデザインを決定。タイへオーダーのデータを送り、バンコクの縫製業者が仕立てて、それを輸入する――という流れで展開しています。
立ち上げ当初はインターネットも普及していなかったため、やりとりに時間がかかり、また、時間の観念の違いからか、納品期日に大幅に遅れるなどの問題も起きました。仕上がりが発注した通りのデザインでなく、なぜかと問うと「こちらの方が合うと思った」という答えが返ってきて驚かされたことも。判断は自分でせず、必ずこちらに質問する…ということを徹底させ、納品日も遅れそうな時は事前に申し出てやりくりするなどができるようになりました。今では頼もしいビジネスパートナーです。
十数年来、オーダーメイド業を続けている瀧澤さんが、最近とみに感じるのは、タイの絹織物産業から以前のような勢いが失われているという現実です。
要因の一つは原材料不足です。ここ2、3年、「シルクアミノサプリメント」等と称し、「美容や健康にいい」という触れ込みで、シルク繊維をサプリとして摂取する流行が中国を中心として日本でも起こっています。この潮流を受け、アジアの生糸価格が一様に上がって、タイでも原材料の高騰が激しくなっています。
また、従来、旅行でタイを訪れ、滞在中にシルクで服を仕立てる外国人は絹織物産業を支える重要な客層でしたが、ここ数年はタイの情勢を不安視して渡航を控える旅行客も多く、それがオーダーメイドの需要減につながっている面も否めません。
しかしながら、一番の原因は、絹糸や絹織物の生産に関わる熟練工が老齢化と共に引退し、次代を担う人材がなかなか育たないことです。技能を身に付け、一人前になるにはそれなりの鍛錬が必要ですが、かつて熟練工たちが絹産業の職人になった時代に比べると、今日では職業の選択肢が広がっています。「同じ対価をもらえるのであれば、より苦労の少ない仕事に」と流れるのは人間の常。いきおい、なり手が減ってきているのです。
熟練工の減少は、絹織物の品質低下に直結します。瀧澤さんが年に数度タイに赴き、布地を仕入れる際も、以前なら、反物の巻き終わりの1、2メートルを見れば、その布地の質に確信がもて、安心して数十メートル分購入できました。しかし最近は、反物の端だけ見て長い尺を買ってしまうと、いざ裁断となった時に、織りが均等でなく、糸のひきつれなどのキズ、色が均一に入らないムラなどに気付き、洋服の仕立てには使えないということもあるとか。
「私が長くこの仕事をしてきたのは、美しい絹織物と出合い、その良さを日本で伝えたいと願ってきたから。いい布がなければ、気持ちが続きません。品質の悪い生地が多いため、入手先が限られてしまい、顧客に対してバラエティに富む提案ができないのが最近の悩みです」と瀧澤さん。
さらに、絹織物のデザインについても、「タイのシルク業界には、一過性の流行を追う傾向があり、例えば、ファッションの世界で、どこかのブランドの象徴的な模様が流行ると、すぐにそれをシルク地にプリントするなどして転用したがります。もっとデザインという作業に力を入れて、テキスタイルのデザイナーを使ったり、市場調査をするなどして意匠を洗練させてほしいと思うのですが、一方で“タイらしい素朴さ”も魅力なので、悩ましいところ」と実感を語ります。
タイは、元々テーラー文化が盛んな国柄です。生地店で布地を買い、自分の好きなスタイルで洋服を作るのは決して特別な贅沢ではなく、バンコクや地方の都市部では今でも生地屋や仕立屋を見かけます。しかし、一般にタイ人が気軽に仕立てるのは綿や化繊の服が多く、瀧澤さんによれば「あらたまった機会に着るためにタイシルクのスーツやドレスをオーダーするタイ人は限られている」とのこと。日本人みなが和服を着てパーティに出るかといえば、そうでない状況と似ています。しかも、近年は縫製料金の上昇や、多種多様なファッションが手に入るようになったことにより、テーラーメイドをやめて既製服しか着ない層が大半となり、その影響で店じまいする仕立屋も増えています。
そもそも、タイの気候では日常的に絹の服を着るのは難しく、昔も今も、車で行って、車で帰る富裕層のパーティ服に使用が限定されてきました。瀧澤さんは「今後も、日々の暮らしの中で、タイ人がシルクの服を着る機会が身近になるとは考えづらいが、晴れの場に絹を纏う若い人が増えれば、絹織物産業の維持・発展につながるのでは」と期待を寄せています。
ところで、今回、瀧澤さんの話を聞き、筆者も認識を新たにしたことがあります。タイシルクの製品としては、(旅行みやげとして人気のある)スカーフやポーチ、ネクタイなどの小物を思い浮かべがちですが、タイシルクは何よりもまずドレスやスーツを作るための素材です。小物類は元々その余りで作られていたもので、現在も、絹織物の需要の多くを占めるのは、洋服のオーダーメイド市場です。そうした意味においても、タイシルクの未来は、「絹地で服を誂える」文化の存続如何にかかっているといってよいでしょう。
齋藤 志緒理
Shiori Saito