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2016.06.27
齋藤 志緒理
前号では、タイ語の敬語的表現について解説しました。今号でも、タイ語の側面から、タイ社会における人間関係の「縦糸」に光を当ててみましょう。
前号で、タイ語では「ピー」(お兄さん、お姉さん)などの「疑似家族的」な呼称を用いて、相手との人間関係を構築していることを述べました。
疑似家族的な「二人称」を状況に応じて、多様に使い分けるわけですが、タイ語は「一人称」も様々で、英語の“I”のように一つで事足りるわけではありません。
タイ語で「私」という時は、男性なら「ポム」、女性なら「ディチャン」というフォーマルな言い方があります。男性の「ポム」は使用範囲が広く、ビジネス相手などのあらたまった人間関係のみならず、友人との間でも、親に対して自分を呼ぶ時にも用いられます。
しかし、女性の「ディチャン」は、「ポム」以上にかしこまった呼び方で、使えるのは、仕事などの公的な場に限定されます。友だちや親に向かって、女性が自分を「ディチャン」と呼ぶことはまずありません。
では、女性が私的な人間関係で、自分を呼ぶ際はどうしたらよいのかといいますと――友人や親、兄姉、年上の親族に向けては、ニックネームをそのまま一人称として使います。筆者の寮時代のルームメイトのニックネームは「オイ」(「サトウキビ」の意)でしたが、彼女が「私は」と語りたい時は全て「オイは」という言い方をしていました。日本語に置き換えて考えてみると、成人した女性が自分のことを名前で呼ぶのは、何とも幼い感じがしてしまうのですが、タイの女性は、中高年世代になっても、同じ関係性を維持している相手(友だち、年長の親族など)に対しては、ずっとニックネームを一人称として使うことができます。
大人が幼い子(男女問わず)を呼ぶのに「ヌー」(「ネズミ」の意)という二人称を使うことがあります。例えば、家族経営のレストランや屋台などで、小学生くらいの子どもが親の手伝いをしていることがあり、客が何か注文したくて彼らを呼ぶ際に「ヌー」と言ったりします。「ネズミ」と言って馬鹿にしているわけではなく、「可愛い、小さな存在」である子どもを慈しむ思いが込められている呼称ですが、外国人の身でタイ人の子どもを「ヌー」と呼ぶのは不遜な響きにならないかが心配で、筆者はなかなか使えません。
この「ヌー」は、一人称として口にすれば、へりくだった、謙譲的な表現になります。子どもが親や教師に対して、一人称の「ヌー」を使うことはよくあります。
留学中、40代か50代とおぼしき女性教授が、恩師(70代くらい)の前で自分を「ヌー」と呼ぶのを耳にし、驚いたことがあります。「ヌー」は女性にとっては、子ども時代限定ではなく、尊敬の念を表したい相手には、その関係性が続く限り、何歳になっても使える一人称なのだということを理解しました。
女性男性問わず、自分に子や弟妹や甥姪、孫などがいれば、前号で紹介したような「お父さん」「お母さん」「お兄さん」「お姉さん」「おじさん」「おばさん」「お祖父さん」「お祖母さん」などの家族の呼称をそのまま一人称の「私」として使います。
すなわち、タイ社会においては、「話す相手が誰か」によって、一人称を使い分けます。フォーマルな表現である「ポム」「ディチャン」以外には、タテの人間関係が反映されますので、話し手は常に(その相手に対する)自分の立ち位置を念頭におかねばなりません。この点については、汎用性のある「ポム」を使える男性よりも、女性の方が日常的により複雑な「一人称」の使い分けを実践していることになります。
タイ語にはラーチャーサップ(王族用語)という別格の表現体系があります。王族用語については、本連載(8)王国としてのタイ その1~タイ人と王室でも触れた通り、使われる単語(名詞・動詞)は一般タイ語とは全く異なるのが特徴です。その起源は、クメール語にあると言われています。
たとえば、一般タイ語では「行く」という動詞は「パイ」、「来る」は「マー」ですが、王族用語では共に「サデット」(お行き遊ばす/お越しになる)と言います。タイのテレビで「本日の王室一家」のニュースを見ていると、王家のどなたかがどこどこに行幸された――といったリポートが多いため、「サデット」はとてもよく耳にします。
王様がご自身を「私」と称される場合、「ポム」ではなく「カープラプッタチャーオ(聖なるブッダのしもべ)」という表現を使います。また、一般の人が王様へ呼びかける時の口上は非常に長く、「あなたのおみ足の下のホコリのような存在である、私 ○○は・・・」という風に言上します。
タイ人は、人間の身体の位置に優劣をつけます。頭が最上位で、足が一番位が低いのですが、王様のお身体で一番低い位置にあるおみ足の更に下にある埃にたとえることで、王様との間の(身分上の)距離感を表現しています。
齋藤 志緒理
Shiori Saito