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COLUMN コラム

チャオプラヤー川に吹く風 タイ人の暮らしと文化

2017.03.06

【チャオプラヤー川に吹く風(48)】タイ人のコミュニケーションスタイル その3~「マイペンライ」の精神

齋藤 志緒理

チャオプラヤー川沿いにある、タマサート大学(タープラチャン・キャンパス)の風景。付近の学生食堂で調達した食事を屋外のテーブルに運び、 ランチ中のグループ(2015年、筆者撮影)
ペッブリー県の市街地(筆者撮影)

タイ人の日常会話に頻出し、コミュニケーション上のキーワードともいえる言葉に「マイペンライ」があります。

「マイペンライ」を分解すると、「マイ」は否定・打ち消しの言葉。「ペン」は「~である」の意。「ライ」は「アライ(何)」が短く変化したもので、総合すると「何でもありません」となります。

この「マイペンライ」は、色々な使われ方をするのが特徴で、
(1)「ありがとう」に対しては「どういたしまして」
(2)「ごめんなさい」に対しては「いいんですよ」「気にしないで」
(3)落ち込んでいる人、困っているに対しては「気にすることはないですよ」「大丈夫」

・・・という風に、状況やその前にくる言葉によって、意味合いが変わります。

●日本人が戸惑う「マイペンライ」

タイ人は誰かに迷惑をかけた時、その相手に「マイペンライ」という言葉を発することがあります。

例えば、日系企業でタイ人従業員が何かミスをした際、日本人出向者に「マイペンライ」と言い、怒らせるケースがあります。タイ人のメイドを雇っている駐在員家庭で、高価な皿を割ってしまったメイドが「マイペンライナ」と言って、夫人を唖然とさせたという話もあります(語尾の「ナ」は、日本語の「ネ」にあたり、相手の同感を求めたい時に添えます)。

どちらの場合も、言われた側は「ごめんなさい」という言葉を期待していたのに、「大丈夫」(上記(3)の用法)とは何事かと憤慨するわけです。

日タイ両文化に詳しい友人のティダーラット・ノイスワン氏(タマサート大学文学部、東京工業大学社会工学部大学院卒)によれば、「マイペンライは“悲しむべき全てのシチュエーション”に対して使われる」とのこと。具体的には、

(相手の置かれた状況に同情して)「大変ですね」
(相手の周囲で起きてしまったことに対し)「残念ですね」
(相手に不利益をもたらす行為をした時)「しまった!」「ごめんなさい」

・・・など、日本語であれば様々な表現が用いられる場面に、タイ人は一言「マイペンライ」と口にするそうです。

これらを大別すると、「大変ですね」「残念ですね」の意味で使われる「マイペンライ」は、相手を慰める言葉であり、「しまった!」「ごめんなさい」の「マイペンライ」は、相手への謝罪のフレーズです。

しかしながら、「マイペンライ」が謝罪の念も表せる言葉であることは、外国人のタイ語学習者にはあまり認識されていません。「ごめんなさい」に相当する言葉を別に習うからです。

自分に発せられた「マイペンライ」が「慰め」なのか「謝罪」なのかを判断するには、相手の目や声音からニュアンスを感じるほかない・・・とティダーラット氏は言います。

●現状を受け止め、楽観的に生きるための“マイペンライ”

「マイペンライ」は、日常生活で対話の相手に投げかける言葉であるのと同時に、タイ人が自分の精神を安定させるために必要な思考スタイルでもあります。

中島マリンは『タイのしきたり』(めこん)で、「“マイペンライ”という言葉には、“現状を受け止める”という精神が隠されている」と述べています。

「日本の社会はつい最近まであまり貧富の差がなく、階級意識もほとんどない。しかしタイでは、日本のようにはいかない。人間は不平等に生まれ、社会には貧富の差があり、階級があって当たり前だとほとんどの人が思っている。民族の違いによる差別もある。みな口には出さないが、格差や差別の中で生きていることをいやというほど感じている。しかし仏教のカルマ(前世の業)や運命を信じるタイ人は、不条理なことでも、自分ではどうにもできないものがあるのだと思い、それらの問題を“マイペンライ”精神で受けとめ、悩むのをやめ、なるべく人生を楽に生きようとする」

「“マイペンライ”は、時には大きな問題を小さな問題へと変える力をもっている。タイ人はそのようにして現状を受け止め、まわりとの摩擦を最小限に抑え、衝突を避ける」「“マイペンライ”は、つらい時、次の選択肢へのきっかけにもなる。だからタイ人は摩擦の激しい階級社会でも楽観的に元気に生きていける」(同書、p.36-37)

●“マイペンライ”という生き方

また、荘司和子は『マイペンライ――タイ語ってどんなことば?』(筑摩書房)でこう述べています(p.102-104)。

「タイ人からマイペンライをとってしまったら、タイ人らしさそのものが失われてしまう。彼らの生き方、哲学なのだから」

「マイペンライという生き方が生まれてくるのは、そもそもタイ人がサバーイ志向で楽天的だからなのかもしれない(サバーイというのは快適とか気持ちがいい、楽だという意味)。人間誰でも“サバーイ”に過ごしたいに決まっている。それにしてもタイの人たちはとりわけサバーイに暮らすことを実践しているように見える」

「日本人のように企業のために滅私奉公などするわけがない。サバーイに暮らせる程度に働く。ちょっとでもサバーイでない日(=体調がよくない日)はさっさと会社を休む。だいたい熱帯の人びとには余剰を生みだすために余分に働くという性癖がないのに違いない。その日その日食べていける分だけ働いてきたのだ。だから大土地所有者である王族や官吏のように、取立てることによって富を蓄積した階級以外には、資本の蓄積ができなかった。コツコツ働いて巨万の富を築き、タイの経済を牛耳ってきたのは、すべて華僑、中国人である」

「日本の企業は、QCC(クオリティ・コントロール・サークル)やTQC(トータル・クオリティ・コントロール)などの小集団活動をフル回転させて、生産性と経済性をひたすら追求してきた。(中略)しかし、サバーイ志向のタイの人たちにこのようなQCサークル活動がなじむとは思えない」

●まとめ

「マイペンライ」は、「気にしない」「大丈夫」「構わない」などの意味合いから、タイ人のおおらかさ(悪くいえば“いい加減さ”)を象徴する言葉として紹介されることがしばしばあります。

効率や生産性が重視される日本の企業では、細事もおろそかにはできず、タイ式の「マイペンライ」であっさりと流されては困ることも沢山あるでしょう。しかし、上述の著者の識見にもあるように、「マイペンライ」思考がタイ人の「強さ」や「楽天性」「前向きさ」の源となっているのもまた真なり、です。

「マイペンライ」は、タイ人の人生哲学が滲んだ、非常に奥深い言葉です。タイ人との対話で、この言葉を耳にすることがあったら、そのバックボーンとなっている価値観に思いを馳せてみてください。

齋藤 志緒理

Shiori Saito

PROFILE
津田塾大学 学芸学部 国際関係学科卒。公益財団法人 国際文化会館 企画部を経て、1992年5月~1996年8月 タイ国チュラロンコン大学文学部に留学(タイ・スタディーズ専攻修士号取得)。1997年3月~2013年6月、株式会社インテック・ジャパン(2013年4月、株式会社リンクグローバルソリューションに改称)に勤務。在職中は、海外赴任前研修のプログラム・コーディネーター、タイ語講師を務めたほか、同社WEBサイトの連載記事やメールマガジンの執筆・編集に従事。著書に『海外生活の達人たち-世界40か国の人と暮らし』(国書刊行会)、『WIN-WIN交渉術!-ユーモア英会話でピンチをチャンスに』(ガレス・モンティースとの共著:清流出版)がある。

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