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2015.04.13
矢野 暁
3月の終わりの1週間、虚空を見つめるマーライオンの目がいつもと違い、とても淋しげで、潤んでいるように見えました。またその表情は、昇天する主(あるじ)に別れを告げるかのように、悲しげに遠吠えしているようでもありました。
皆さん既にご存じのように、シンガポール建国の父リー・クアンユー元首相が3月23日未明に享年91歳で死去、1週間にわたり全島が喪に服しました。
私のオフィスがある金融街近くのマーライオンから徒歩で10分ほどの国会議事堂に遺体が安置され、市民が別れを告げるために、国葬の前夜まで昼夜を問わず長蛇の列を作ったのです。連日昼間は猛暑でしたが、多くの市民が日傘をさしながら8時間近くも辛抱強く待ちました。私もそれを目の当たりにし、故人の偉大さをあらためて実感した次第です。
リー氏については、国内外から批判的な見解・論調も長きにわたってありましたが、このカリスマ的国家リーダーの死という現実に直面した時に、多くの市民がとった行動、語った言葉、そして露わにした表情が、同氏に対する言わば「総合評価」を示していると思います。理屈ではなく、感謝と敬意の気持ちが心底から滲み出ていました。私の友人・知人たちを含めシンガポール人たちが異口同音に「彼がいなければ今のシンガポールは無かった」と涙ながらに述べていたのが印象的です。
マクロ統計面での富裕度が増す一方で所得格差(感)などの問題が顕在化する中、若者を中心に昨今のシンガポールに不満を抱く市民が多いのも事実。こうした状況になったのは、礎を築いたリー氏による悪政のせいだ、という過激分子すらいます。一つの方向からだけ見れば、独裁的・権威的なやり方でもって、国民に犠牲を強いながら経済発展至上主義的な政策をガンガン推進していったリー氏を批判することは簡単です。ですが、歴史・時代背景やシンガポールの置かれた厳しい諸状況を考慮すれば、確かに万民にとり完璧とは言えないでしょうが、ここまで繁栄できたのはミラクルに近い筈です。多面的にバランスを持って見ないと、評価を見誤るものです。
私は国際政治を学んでいた大学時代から30年間にわたり、東南アジアのインフラ開発や事業開発に従事する傍ら、リー・クアンユーという指導者に強い関心を抱きながら、同氏を遠めに眺めていました。ですので、リー氏の死に自身も島内で直面し、企業人として同氏のリーダーシップから何を学べるのか、この節目の時に今一度考えてみたいという念に駆られています。
小さな島国のリーダーでしたが、大国を含む世界中の国家の政治家がリー氏に学び、同氏に敬意を表してきました。また、少なくともアジアの企業人の中には、リー氏の統治スタイルに影響を受けた人も少なくありません。
ある経済界の月刊誌連載にも追悼的な随想として書いたのですが、「シンガポールは小都市国家で、特殊環境ゆえに、ああした統治や発展が出来たのだ」と例外視する向きもあります。しかしながら、例外扱いした時点で本質から目をそらし、何も学ぶことが出来なくなります。部分的には「反面教師」的な面もあるでしょう。そうしたことも含めて、是非ともこの機会に、リー・クアンユー初代首相が「シンガポール株式会社」をどのように統治したのか、そして成長軌道に乗せたのか、一緒に考えてみましょう。
(次回に続く)
矢野 暁(サムヤノ)
Satoru Yano